ラムネのじゆうちょう

仕事に行かず自由に日々を過ごしたい筆者のラムネが日々の中で思うこと、何かをした感想を書くブログ。

自己主張ができない

 

 4月になり、新年度が始まった。職場や学校、家庭でも移り変わりの激しい月である。

 僕も、馴染んできた職場がまた新しい体制で始まるのが不安で仕方がない。

 新しい環境に順応するのに時間がかかるので、とても困っている。不労所得で人生を俯瞰しながら好きなことだけして生きてたい。

つくづくそう思う毎日である。

 

 というのも、仕事で自分の業務が多すぎてゆっくり作業ができないからである。

 あと、自分の悪いところでもあるが、

 

  隣の人なんか大変そうだし手伝った方が良いかな…と思ったことを自ら手伝ってしまい、相手からの依頼を断る術も知らず引き受け、何でも自分で作業をこなし、相談することに時間がかかり、休日は休んで、出勤前に何もかもが嫌になって働きたくない…と思いながら、引きずった心を音楽で慰めながら出勤する…

 

と言った次第だ。これを書きながら、むしろ自分の悪いところが自分の仕事に対するモチベを悪化させ、ただただ業務量が増えている。なにより、断ったり、相談したりできない自分が情けない…

    業務について提案できたり、上手く相手の要求に対して断りたいが、思いつかない。そして、相手の態度ばかりを窺ってしまう…

(カウンセラーは人の相談を聞いているのに、そのカウンセラーが相談できないなんてどういうこと?と思う人もいるかもしれないが、カウンセラーの中には、他の人に相談しにくいタイプの人も少なくないのだ。このテーマについては、また違う時にでも話そうと思う。)

 

    ここまでひどくはないかもしれないが、少なからずどこか当てはまる人は少なくないと思う。僕は他人を気にするタイプの人を「他者本位的な人」と勝手に名付けている。

 「他者本位的な人」は相手主体で物事を考えてしまう。逆を言えば、相手に合わせて柔軟に対応できる人のことだ。愚痴を言う言わないは別にしても。

 あくまで相手が主体になっている、ここがミソだ。相手が主体になっていると相手に依存できるのだ。

 先の私の職場での行動を思い浮かべてほしい、自分の意見が全くないし、自分で意見を言うのも苦手で、相手の提案に依存している形をとっている。相手がいないと何もできない状態に自分が身を置いている。

 この行動にはメリットがある。相手に責任を押し付けることができるし、自分がリーダーシップを取る必要もない、リーダーシップを取ることによって生まれる自分へのミスや批判が生まれないし、相手の仕事を手伝っているので、人から嫌われる確率が低い。

 しかし、自己犠牲しているので、自分のモチベが減りやすい。相手に任せているので、有用感や達成感もあまり感じられない。そして業務が増え、自分が倒れたりして周りに迷惑をかける、という負のスパイラルに陥ることもある。

 人に嫌われたくない、という思いはもしかすると、自分(の心)がこれ以上傷つきたくない、という思いが隠れているのかもしれない。

それと自己主張ができない人は、自分の主張が否定されたことやそれを見てきた経験が多いように思う。だからこそ、これ以上傷つきたくないと思うのかもしれない。

 

 これを書いて自分の経験で振り返りながら、今日も相手からの依頼を断れず、なんとか自己主張する勇気と技術を身につけようと軽い意志を募らせる作者であった…

 

 

自分の中の他人を知る

 

 先週、このブログを更新しようと思ったがするのをやめた。

 理由はシンプル、精神的に不安定だったからだ。

 無性に仕事に行きたくなくなり、急きょ半日休みを取ったこともあった。

 対人援助職ではよくバーンアウト(燃え尽き症候群)が起こりやすいと言われている。僕の場合はプチ燃え尽き(これは本来のバーンアウトと違う意味だと思うが…)が度々ある。人のことを考えすぎてしまうと、仕事に行くことも嫌になるのだ。

 こういう時に自分では行かなきゃと思っているのに、まるで自分の意志と真反対の考えが思い浮かんだり、身体が動かなくなったりすることがある。今日はその話をしたいと思う。

 

 ちょっと話を変えると、解離性同一性障害という精神障害がある。わかりやすく言うと多重人格、と呼ばれる障害だ。

 この障害は一人の人間の中にある1つの人格が1つに収まらず、複数あり、普段の人格から違う人格が突如として現れるような現象のことである。また普段の人格は他の人格を知らなかったり、意識できなかったりする、というような障害だ。(だったと思う…正確な内容については、本などでお調べ下さい)

 

   この説明の方がわかりやすいのでこう説明しているが、個人的には、人間の中には複数の人格を既に持っている。自分ではないと思っている自分も自分の中に存在しているのだ。つまり、自分の中にも他人がいて、それは自分の意識を離れて一人でに動き出すこともある、ということだ。

 他人の中でも、嫌な奴がいる。それは人ではなく、生き物の場合もあるかもしれない。そんな意識している中でも、嫌な奴というのが自分の中に存在しているのだ。

 ビジュアルで言うと、藤原カムイ著の漫画、ドラゴンクエストエデンの戦士たち、出てくる主人公アルスの修行シーンで出てくる別人格や、宮部みゆき著の小説・映画、ブレイブストーリーの主人公が戦った影の主人公などが分かりやすい例だろう。

 

 さて、話に戻ろう。人のことを考えすぎた僕は、人と関わりたいが仕事に行きたくないと思っている。これは、自分の中の自分は人のために何かしたいと思っていても、自分の中の他人は自分のために生きさせろと言ってくる。この葛藤から、仕事に行きたくない、という考えが出てくる。

 こう考えると、自分の中に他人がいるのだと思える。それが解離性同一性障害も不思議なことではないように思える。少し親近感を感じるかもしれない。

 

 話はまた脱線するが、人類学の本を読んでいてハッとしたことがある。その本に書かれていたことは、もともと人間と動物の境界はなく、今でも狩りのために動物になりきって動物を獲る人たちがいるということだ。その人たちは、自分が動物になりきってしまい、人に帰ってこれなくなった人もいる。未開の人は人間と動物は同じ生き物として同等に扱っていた。文明が発達して、生き物という言葉だけでなく、そこから人間や動物と分類分けがなされていった。もはや人間(ヒト)と人間もしくは神(動物)だったのかもしれない。

 これは当たり前のことだけど改めて気付かされた。動物も元々は他人だったのかもしれない。

 

 現実世界の他人ともコミュニケーションを取るのは難しいのに、自分の中の他人ともコミュニケーションを取らないといけない。僕たちは日々生活していて、知らず知らずのうちに高度なことをしているのだ。そう思うと、調子が悪くなって当然かもしれないなとこれを書きながら著者は思っていた。

 

 自分がしんどくなった時に友達に相談するもよしだが、たまには自分と対話するのもいいかもしれない。一人になって目を瞑ってしんどい気持ちや感覚に焦点を当てながら、心の中でそのしんどい自分に声をかけてみるのだ。しんどい自分の声を拾い上げると帰ってくれば、それは自分と対話しているのかもしれない。そこから自分の中でスッキリする感覚を確かめて対話するのだ。

 あまりにもしんどい場合はやめた方がいい。その時はゆっくり休んだり、人に話を聞いてもらいながらでもそれはできるので、無理はしないことだ。自分に合った方法を探すことが大事なように思う。

 

 こんなことを書いて自分の思考を整理してスッキリするも、まだ自分の中にいる他人と話し合い中な著者なのであった。

家事は面倒だけれども…

 

 花粉シーズンが到来し、天気予報で花粉情報が見られるようになってきた。

 僕は花粉症ではないが、慢性鼻炎持ちである。花粉も若干あるのか、最近鼻詰まりが起きやすくなってきだした。

 鼻が詰まると呼吸がしづらくて、疲れが溜まったり、些細なことで気持ちが不安定になりやすい。ただでさえ、年度末というのはイベントが多いので、不安定だというのに困った困った。そして、家事、とくに掃除が滞るのである。

 

 今日は家事の大切さについて考えたいと思う。

 家事というのは、本当に面倒な作業だ。毎日毎日同じことの繰り返しであり、いつまで続くのかわからず生きてる限り永遠に続く。また、別にやらなくても現代ではなんとか生活できてしまうので、やろうと思ってもなかなか手が届かない。いや、やらんでええやろ、という人も少なくないと思う。

 

 ここで話はガラッと変わるが、五感という言葉がある。

 五感は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という、人間の感覚器官を表す。

 実は、意外と五感の効力を過小評価している人が多いのではないか。というよりも、五感の中で自分が使っている部分や効力のある部分、おろそかにしている部分を自分自身が知らない人が多いのではないかと僕は思っている。そして、さっき書いた家事の重要性はここでつながってくる。

 

 具体的に考えてみよう。例えば、掃除。掃除機をかけて、換気をして、空気の循環が生まれ、鼻の通りが良くなる。部屋を片付けることで空間が生まれ、視覚的にすっきりとした感覚が生まれる。僕もこれらは苦手だが、掃除は心にとってとても重要だと最近、掃除をした後の達成感やその後の鼻どおりの良さを感じる時によく思う。

 また、「心身一如」という言葉がある。この言葉は心と身体は1つである、言わば心と身体はつながっているという意味だ。さっきの掃除の例でいうと、換気や掃除機をかけることを怠ると、空気の通りが悪くなり、鼻詰まりが起きる。部屋が散らかっているとごちゃごちゃしていて集中できなかったりする。視覚が落ち着かなくなり、鼻の通りが悪くなると、呼吸が浅くなりやすい。呼吸が浅くなると、自律神経が乱れて、眠りが浅くなり、体力や気力を消耗しやすい。

 また、そうなることによって、不安や焦り、恐怖がいつもよりも感じやすくなったりする。

 

 五感、ひいては家庭で行われているものは、面倒なことであるが、掃除や料理などは自分の生活の根底を知らないところで支えてくれているのだ。そう思うと、親はすごいなあ…とつくづく思う。

 そして、それを考えてると、空気清浄機、ルンバ、安眠枕などに高いお金を払って使う人の気持ちや、開発した人の頭の良さを感じる。

 五感を快適にするのは、自分のやる気や集中力を引き出させるために重要なことなのだ。自分の頭の中で考えるだけではなく、体を使って感じることには、考えるだけではない発見がある。まさに、don't think, feel. なのである。

 

 これを機に五感や家事について、もう一度、美味しいご飯でも食べながら考えてみようと思いながら、今日行ったラーメン屋さんのラーメンの味が微妙だったので、やっぱ掃除は面倒だなと考えてしまう著者なのであった。

焦燥感と向き合ってみる

 

 春が来た。冬が終わりを告げはじめた。季節の変わり目がやってきた。

 年度末という変わり目もあり、僕の周りも全体が忙しなく日々が過ぎていっている。

 そんな僕は季節の変わり目に弱い。安定していることで安心しやすいタイプなので、やっと冬の生活も安定してきたのにと思う。

 体力もメンタルも少しずつ削られている感覚がある。日々がすぐに流れていってしまうと最近よく思う。

 

 休みの日があっという間に過ぎて行く。何もできてない…もっと休みたい…

 

  日々がすぐに流れていくので、すべきことが滞り、休みの日も疲れや気力不足で何をしているかも覚えておらず、ただなんとなく日々が過ぎて行く感覚から生まれる、余裕のなさ、焦燥感も出てくる。

 全く休めていないわけでもないが、自分の気持ちが焦っていて、自分が休めた、という感覚があまりないのだ。

 こういう時は、明日が終われば仕事か…などと明日のことを考えず明後日の仕事のことを考えてしまう。

今書いていてそう思ってしまう。

 

 そこで、エネルギーはないのに、気持ちが焦ってしまう時の対処法を自分だったらどうするかと思い考えてみた。

自分なりの焦燥感との向き合い方だ。

 

 ①焦っている自分に気づく。

 ②ダラダラして、その自分を受け入れる。

 ③布団に潜る。寝る。

 ④呼吸を整える。

 ⑤自分がやりたくないことを最小限にする。

 ⑥何かにチャレンジする。

 

 以前と同様、一つずつ簡単に考えていく。

 

 ①焦っている自分に気づく。

 焦っていることに気づくことで、自分の状態を確認する。

 問題解決に至らないが少しは落ち着けると思う。

 

 ②割り切って、ダラダラしている自分を受け入れる。

 焦燥感が強すぎると難しいかもしれないが、自分の状態を受け入れるようになるとだいぶ楽になれると思う。

 割り切れると自分の気持ちにメリハリをつけやすい。

 

 ③布団に潜る。寝る。

 寝れないと厳しいが、体力的に疲れていることもある。体力回復が気力回復につながることもある。

 

 ④深呼吸をして、呼吸を整える。

 呼吸が浅くなってそれが心の乱れにつながる時もある。呼吸を整えて、気持ちの切り替えにもなる。

 腹式呼吸をする時間を設けて習慣化すると、長期的な心の健康につながることも。

 

 ⑤自分がやりたくないことを最小限にする。

  今自分がやっていることが現在の自分のキャパよりも多いために、負担になっていることがあるのかもしれない。

  負担になっているものを特定できるならそれをやめてみる。

  わからなければ、習慣がなくなるリスクもあるが、いくつかの作業を今日だけはやめるというのも効果がある。

 

 ⑥新しい体験にチャレンジする。

 新鮮味が欠けているからこそ、新しい体験をするとマンネリ化した頭に新しい風を通すことができる。

 エネルギーを使うし、面白いかどうかはやってみないとわからないというリスクはあるが…

 

 以上、6つ考えてみた。

 これを書きながら、以前の日曜日のネタとほとんど変わらんなあ…まだそんなに書いてないのにマンネリ化しとるやんけと、自分の引き出しの少なさに少しショックを受け、今後このブログ続けていけるのかと戸惑っていた。(まあ、自分の書きたいことを書くという目的なのでするとは思うんですけどね笑)

 

 ただ、こういう当たり前の行為を立ち止まって考えてみるのは大事なのだとも思った。普段、意識せずにおこなっている行為にはメリット・デメリット両面がある。野球選手が自分のフォームを定期的に確認するように、生活も定期的に見直すことで自分らしい生活が送れることもあるのかも、と。

 そう言いながら、これを書いて自分の中にあるごちゃごちゃした頭をなんとか整理しようと苦悶する著者なのでありました。

夢中になれること

 

 学生時代と比べて、夢中になれなくなった。

 それは、何をするにしても、

 

 「どうせ、何も身に付かずやめてしまうんだろうなあ…」

 

 という思いが拭いきれなかったからだ。

 

 でも、今日は久しぶりに夢中になったのだ。時間を忘れて「GIANT KILLING」というサッカー漫画をただひたすらに読んでいた。

 この漫画は、学生時代にネットカフェで読んでいた漫画で50巻くらいまで読んでいた。最近、ふと気になって電子書籍で最新刊まで買ってみた。いざ読んでみると一気に読んでいた。漫画の魔力に圧倒された。楽しい。たまには寝かせて時が来るまで待つということも悪くないと思った。

 あと、「GIANT KILLING」を読みながら、学生時代の頃の楽しさや、何かに夢中になっていた子どもの時の自分も思い出していた。

 

 何かに夢中になるということは後先を考えない、ということにもなる一方で、「今、この瞬間」を楽しめたり、自分に素直になれたり、自分の新たな一面を発見できたりできる。良い現実逃避にもなる。

 

 大人になり年齢を重ねると、将来のことを考えながら行動するから、なるだけ効率的・習慣的・計画的に物事をこなそうとする。そこまで効率的ではないが、自分もそういう思考にいつの間にか、なってしまっていたように思う。

 それも生きて行く上で必要なスキルだし大事でもあるが、それに囚われすぎると、自分がやりたかったことや瞬発力みたいなものを忘れてしまいがちになる。僕はそれを忘れていたのだとこれを書きながら気づいた。

 僕の好きな著者で心理士の偉人である河合隼雄先生は『こころの処方箋』という本で、道草によってこそ「道」の味がわかる、というタイトルで道草の味わいについて書いている。それは、一見、無駄なことでも遠回りしてもまた元の道に戻ったり、新しい道を開拓できたりするのかもしれない。

 僕にとって「GIANT KILLING」を読んだのは道草を味わった体験になってたのかもしれない。

 子どものように夢中になれるものに後先考えずに飛びつくのもありなのかもなと思いつつ、今日は前向きに明日頑張ろうかなと思った著者なのでありました。

 

憂鬱な日曜日のために

 日曜日の夕方以降くらい、日々が忙しい人だと土曜日くらいから明日、学校・会社に行きたくないなあと思う人が多いと思います。

 僕もこれを書きながら、仕事行きたくないなあ、と考えてます😩

 毎週同じことを繰り返しているなあと思いつつもとても憂鬱になります。あの週末の仕事終わりのキャッホウな気持ちはどこへやらって感じです😇😇

 その中で、実際のところ仕事には行こうと考えているが、仕事に行きたくない気持ちを減らすにはどうしたらいいか、後ろ向きな気持ちをほんのちょっとでもマシにする方法を自分の備忘録として少し考えてみました😃

 学校の人は仕事の部分を学校に置き換えて考えてみてください。

 

 仕事に行きたくない気持ちを少しでも減らすために、

 

 ①仕事に行きたくないという自分の嫌な感情に気づく。

 ②明日の仕事のスケジュールを確認する

 ③週末の予定を振り返る

 ④楽しい予定を考える・計画する

 ⑤自分がしたいこと、楽しいこと、やり残したことをとことんする

 ⑥ふて寝する、早めに寝る

 ⑦今の仕事をしている目的を考える

 ⑧仕事のことについて、あえて思い返してみる

 ⑨仕事以外で辛かったことがなかったか思い返してみる

 

とりあえずこのくらい出てきました。一つずつ見ていきます。

 

 ①仕事に行きたくないという自分の嫌な感情に気づく。

 まず、仕事行きたくない気持ちが強くなると、仕事に行きたくないのという嫌な気持ちが強くなりすぎて、そのことしか考えれなくなりがちです。その状態になっている時は、その状態になっている自分に気づきましょう。対策を考える上では、これが一番肝心かなと思います。あ、自分の気持ちから少し距離を取ると少し楽になります。

 一方で、これだけでは問題解決にはならず、同じところを堂々巡りしやすいです。

 

 ②明日の仕事のスケジュールを確認する

 明日のスケジュールを確認することで、明日の1日だけを焦点化して考えることができます。

 仕事は先の見えない迷路のようにあたかもずっと続くように思いがちなので、こうすることで、とりあえず一日は頑張れるかなと思たりする時もあります。

 ただし、明日の予定がしんどいとより行きたくなくなりますが…

 

 ③週末の予定を振り返る

 週末の予定を振り返ることで、週末楽しかったことに思いを巡らせれます。楽しい思い出を胸に明日も頑張ろうと思えたりも出来ます。

 一方で、何も出来なかった…と言って嘆くときもよくあります。

 

 ④楽しい予定を考える・計画する

 楽しい予定を考えると、その予定のことを考えて楽しい気持ちになれるし、予定を入れることで、この日までは頑張ろうと仕事にもメリハリが付きます。どちらかだけでもいいかもしれません。

 一方で、計画するのはめんどくさくて気が乗らないのかもしれないし、考えるのは現実逃避なので現実に戻るとギャップでしんどくなるかもしれません。

 

 ⑤自分がしたいこと、楽しいこと、やり残したことをとことんする

 自分が楽しいと思うことをできてないかもしれません。やってみようと思うことをとことんすることで、これだけやったし明日は頑張ってみようかなと思うかもしれません。

 ただ、これも現実逃避なので、現実に戻るとしんどくなります。メリハリをつけないと睡眠不足にもなります。区切りをつけてやることも必要かもしれません。

 

 ⑥ふて寝する、早めに寝る

 休日にいろんなことをしていると、日曜日には知らず知らずのうちに体力がなくなって、疲れていることも多いです。早めに寝ることで、疲れを回復し、睡眠は思考の整理にもなるので、不必要な感情を考えなくて済みます。これはかなり有効です。

 一方で、このことを決断するのに時間がかかります。やっぱり、あと10分動画見てからにしよ…となってしまったりします。自分のその時の感情に寄り添えないのがこの対策の弱点です。

 

 ⑦今の仕事をしている目的を考える

 そもそもなぜその仕事をしているのか、初心に還ってみることで、自分にとっての仕事の意味を取り戻し、仕事のモチベーションにつなげることができます。将来のことを考える一つの機会にもなります。

 ただし、何のためにしてるんだろうか…、もうちょっと仕事考えておけばよかった…など、自暴自棄になったらやめましょう…

 

 ⑧仕事のことについて、あえて思い返してみる

 仕事のことをあえて思い出すことで、今の仕事のしんどい部分を客観視できます。仕事内容なのか、人間関係なのか、仕事量なのか、などしんどい部分を特定させるのもいいでしょう。また、この時は我ながら頑張ってたな…あの時と比べたら今はマシだななど、仕事の中でもポジティブな面というのは少しはあったりします。それがモチベに繋がる時もあります。

 ただ、仕事の嫌な部分を思い出しすぎて、嫌な気持ちを増幅させてしまいかねないところは注意です。

 

 ⑨仕事以外で辛かったことがなかったか思い返してみる

 仕事に行きたくないというのは、何も仕事に限った話ではありません。自分の生活全体の中で自分の不満やストレスが増幅していて、それが仕事に行きたくない、というところで出ている可能性は大いにあります。結婚、転職、転居、死別など、環境が大きく変わったりすると自分のストレスが大きくなりますし、趣味がなくなったり、友人・パートナーの不和があるとストレスを溜め込みやすくなります。気づくと少し考える余白ができたりします。

 一方で、問題解決にならない場合もあります。あと、辛い気持ちを思い出してしんどくなる可能性があります。

 

 以上、一つずつ見てきました。書いている通り、どの方法も一長一短です。その中で、自分ができそうなところから試してみるのがおすすめです。

 僕もこれだけあげても起きれない時はよくあります。そんな時は少しの時間でも休めたら休みましょう。横になるだけでもいいです。あと、美味しいご飯🍚と十分な睡眠😴が自分の心の平穏を生みます。

 

 そう言いつつ、これを書くことで少しでも明日の現実から遠ざかろうとしている著者なのでありました…

かわいいの意味

 

 今日、YouTubeで動画を見ていると、YouTuberが「かわいいは女子にとって最強やから✊✨✨」

ということを言っていた。

 女子はかわいいって言葉好きよなあ〜、そんで意味が多すぎてどの感情なんかわかりにくいんじゃあ〜!(おい、ノブぅ!)、と思ったので、今日、かわいいという言葉を最近買った広辞苑で調べてみました。

 

 広辞苑第七版には、

 かわいい

①いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。

②愛すべきである。深い愛情を感じる。

③小さくて美しい。

 

と書いてあった。ついでに、

 

 かわいがる

①可愛く思い大切にあつかう。愛する。いつくしむ。かわゆがる。

②(反語的に用いて)いじめる。いたぶる。

 

とも書かれてあった。

 

 2つの言葉を眺めてみた時に、かわいいの②と③、かわいがるの①が、女子の言うかわいいの意味の一部なんだろうなと思いました。今だと他にももっと色んな意味ありそうだけど。

 

 けど、かわいいの①には気の毒だったり、ふびんだったり、かわいそうな意味も込められているのが、深いなあ。かわいい、という言葉には、そのふびんさも愛情です、と言われてるのではないかと思ってしまった。偏見だけど、かわいいは女子らしい言葉だと思う。母性とかとも繋がってそうな言葉に見えてくる。もしかしたら男子がかわいいと言われても嬉しくない人が多くいるのは、この気の毒なところを知らないところで感じていることもあるからなのかなーと思いを巡らせた。

 言葉の意味をちゃんと調べるのって案外楽しいもんですね。