ご飯と心
定期的に更新していくつもりがもう秋になっていた。暑い日々から一転、涼しい季節になってきた。
今日は、食欲の秋、と関連づけて食事と心の話をしようと思う。
ご飯と心の関係は、とても影響がある。
ご飯を食べる、という行為は生きていくために必要なことだし、食事を摂ることは心身のバランスを支えるベースの部分で重要だ。
ご飯を食べないだけでも、人はイライラしたり落ち込みがちになる。逆に、ご飯を食べれば、ストレスが解消されることもある。なんだかイライラ、もしくは落ち込みがあるなと思ったらご飯を食べてないからということもあるということを頭に入れておいても良いかもしれない。
また、精神障害の一つとして、摂食障害がある。摂食障害は簡単にいうと、食べ過ぎもしくは食べなさすぎ、が極端になり日常生活に支障をきたす障害だ(かなりざっくり言っているので、摂食障害の正確な内容は本などでお調べください。)食べることに翻弄されている人たちといえるかもしれない。例えば、
・食べ過ぎで言うと、ストレスを食べることで溜め込んでいる
・食べなさすぎで言うと、ストレスに耐えられず拒絶しているので、食べられない
ということが食べ過ぎor食べなさすぎの背後にある理由の一つになるのかもしれない。摂食障害は要因も様々で、ここに挙げたのはほんの一例に過ぎないことを覚えてもらいたい。
ご飯と心の関係についてはある程度わかっていただけたと思う。でも、これだけではない。食事や料理を通じて私たちはコミュニケーションを取っている。料理研究家である土井善晴先生は『一汁一菜でよいという提案』という本の中で、作り手と食べる人との情報のやり取りを家庭料理、コンビニ食、チェーン店、高級レストラン・料亭などパターンを分けて表で示している。
一部を紹介すると、コンビニ食は食べる人にとってご飯を何にしようか選ぶ楽しみはあるが、作り手の姿は見えず、一方的である。他の3つは作り手が見え、チェーン店であっても少なくとも支払いなどの、作り手と食べる人のやり取りがある。高級レストランになると、食べる人の好き嫌いやアレルギーなども把握するお店も多く、シェフ(作り手)個人の心配りが見え、食べるひとの会話も弾んだりする。家庭料理では、作り手の知識や経験、思いが料理というものに込められる。そして、食べる人が美味しいと話し、コミュニケーションが取れたり、毎日食事がある安心感や、家でのご飯での思い出ができる。
実は、家でのご飯を介した気持ちのやりとりは気づかないところで行われている。食べる人のベースを支えてくれているのだ。
誰か身近な人がお弁当を作ってくれて食べる人にお弁当箱を渡す、食べる人はそれを食べて作った人に返す。このようなことや食べることはずっと日常的にあることが当たり前のことなので、食べる人は気づきにくいかもしれないが、作る人が知らず知らずのうちに自分の心身のベースを支えてくれているのだ。
一人暮らしをした時や作り手が変わる、いなくなった時にその人のご飯や顔や思い出がふっと目に浮かぶ。そんな時に、その人に対する感謝が自然と出てくる。
ご飯自体も、ご飯を通した会話も心に影響してくる。人間の生活の基本は、衣食住というが、これまでのことを考えると食については頷ける。作り手がいるご飯は美味しいのだ。
今回は作り手と食べる人の関係に焦点を当てることが多かったが、料理すること自体も経験になるし、料理が上手く作れると自分の自信にもつながる。
読者の方々もこれを見て、美味しくご飯を食べてくれていたら嬉しい。
そう願いながら、長年料理をしてくれた母に感謝しつつ、自分で作った味噌汁を飲んでほっこりする著者なのでありました…